椅子席が似合ってしまうのも座敷の魅力のひとつではないでしょうか?
ご来客を迎えいれるために作られた広間ですから、一期一会に備えて変容できる大らかさを備えもっているようです。
どんな宴席を思い描かれましても十分な52畳の大広間でございます。
座卓とテーブルでは、同じ広間とは思えないほど雰囲気が変わります。また、夏は書院の障子戸を御簾戸に取り変えますので、季節で変わる表情も一興として楽しんでいただいております。
古く変わらない筑紫亭は、お越しいただくたびに新しさを見つけていただくことを喜びとさせていただいております。
ご結納やご長寿のお祝いなど、どうぞ親しい方々との大切な語らいのひとときをごゆるりとお過ごしください。
お料理を召し上がりながら、心から安らぎ、くつろいでいただけますようにと、どのお座敷にもそれぞれ趣向を凝らし、床を飾らせていただいております。
どうぞ、ひととき、お心をお緩めいただけましたらと存じます。
すべてのお座敷(客室)の異なる床には、香炉、掛け軸、生け花を飾り、季節のしつらえをいたしております。
床をはじめ、亭内に飾られる花は、すべて中津の野に今咲く花ばかりです。深く大きな耶馬渓の森の潤んだ空気を呼び込んでくれるような一輪の野の花に出会うことを楽しみに足をお運びになられるお客様もいらっしゃるほど、いつの頃からか、野の花の咲く床が筑紫亭の代名詞のようになっております。
離れは主屋の後方、敷地を東西に流れる水路を挟んだ南側にあり、二階建て一棟と平屋二棟を縁や廊下で巧みに結んだ構成になっています。
主屋と同じ数奇屋風で、垂木などには磨き丸太を使っています。
主屋の廊下を抜け、中庭を回り、茶室の脇から離れへと続く渡り廊下へ進むと、空気感が変わるのをどなたもお感じなられるようです。それは水路をまたぐため。
水路は廊下の中ほどを横切る中津城の外堀の流れで、ここを境に敷地内で町名が分かれる面白さも、お客様の話の種となっています。
写真の平屋の離れの座敷には、福沢諭吉の書簡が常時飾られております。
宇佐航空隊の御用達「雲龍荘」。それは戦争中にだけ付けられた筑紫亭の別名です。そして、離れは丸刈りの若き将校たちが特攻出撃前夜に最後の夜を過ごした所でありました。
二階建の離れの一室、床柱、鴨居に残る無数の刀疵。
「私は痛ましくて、ごめんね、ごめんね。心の中でつぶやきながら、刀疵を撫で続けた」と作家の城山三郎さんは「指揮官たちの特攻」(01年)で書いておられます。
生命力がみなぎる緑の中庭は、
ここが市内の一角であることを忘れさせ、
まるで耶馬渓の森の近くの
山荘にでもいるような心地へと
ご来亭者を誘います。
同じ庭も、吹きガラスの窓ごしに眺めると
優しくひずむ季節の陽の光のせいで、
また少し異なる風情を楽しませてくれ、
飽きさせることがありません。
玄関の苔むす庭。
しっとりと潤んだ苔の美しさで、
ご来訪のお客様をお迎えいたします。
門をくぐった正面奥に
さりげなく佇む句碑には
「是が河豚かとたべてゐる」
と刻まれています。
これは、昭和5年11月に
放浪の俳人・種田山頭火が
筑紫亭で催された句会で
初めてフグを食べて詠んだご機嫌の句です。
百年以上の毎日、人の手と時の流れに磨かれ続けてきた木の廊下、木の階段には、窓越しの光や天井の灯が映り込みます。
それは、どんな光よりも人の心を明るく照らすあの木洩れ日のようです。
山から切り出された木々が柱となって立ち並ぶ筑紫亭という森の中の小径にあふれる木洩れ日のようです。